それほどまでに馬場賢治に固執するのはなんでなのか
*しばらくお休みしておりました。お察しください。
先日ベルマーレのTwitter企画にて、こんなお願い事をしました。
平塚の漢、7月7日生まれ、馬場賢治の引退セレモニーをぜひ我がクラブでしてあげてください。#ベルマーレ願い叶えます
— ゆるいデータ (@yuruidata) 2021年7月1日
*たくさんのいいねありがとうございます!
未だにスタジアムに行くときは2012Aの17番を着ている私にとって、彼はやっぱり特別なんです。
なんでそこまで固執するのか、つらつらと書いてみようと思います。
1.彼の出自と2010の思い出
彼はまあジュニア出身というよりもそもそも平塚出身という時点で稀有、まあ同時期猪狩もいたわけですが。
そして何より7月7日生まれですよ。平塚出身・七夕生まれなんて。
そしてそしてベルマーレが好きになり、ベッチーニョに憧れてサッカー選手を目指すなんて、もうどこの自分なのかと。
やっぱりスポーツなりサッカーなり特定のクラブを応援するっていうことは、何かに自分の感情を乗せたり重ねたりして、そこで感情を揺さぶられるからやめられないわけですよね。
とどのつまり、ベッチーニョに憧れてJリーガーになった挙句湘南でプレーする彼、に思いを重ねたからこそ、私にとって本当に特別な選手になったのだと思います。
そんな彼が2010にレンタルで加入してくれたわけですが、お恥ずかしながら加入するまでは平塚出身とも7月7日生まれともジュニア出身とも知らなかったんです。
そして悲しいことに2010はそれほど印象に残るプレーがなかった(笑)
いや、前も書きましたが万博で決めたミドルシュートは覚えてますよ。
2.2012の帰還
嫌でも夢に出てきそうな髪型で舞い戻ってきてくれた2012年。
確か2011シーズン後のクラブカンファレンスで、O倉氏が「馬場賢治は戻します」って明言して場内拍手だったんですよね。大荒れ必至のあの時期で。私も思わず唸った記憶が。これからの方向性を示すのにもってこいの動きだったですからね。
そしてなにより印象的というか衝撃があったのは、チョウさんが彼を1トップで使ったということ。
そしてポンポン点取っちゃったということ。
A山雅戦で自分のミスから失点した後自分で奪い返したりとか、無人のゴールにわざわざアウトで流し込んだりとか、これまでとは違った1トップ像で快進撃を引っ張ってくれたんですよね。
まあ後半戦ケガしちゃって、キリノもうまくフィットして劇的な昇格につながったわけですが、やっぱり彼がいなかったらこのシーズンこんなに勝てたのかなと。
そして2013。なかなか出番が限られるも、やっぱりあの雨の東京戦のループ。そしてガッツポーズ。しばらくスマホの待ち受けにしてたもんなぁ。
そんなこんなでもうすっかり虜になってしまったのですが、残念ながらこのシーズン限りで退団。
3.平塚の漢の再帰還を強く求む
結局水戸に行こうが讃岐に行こうが大分に行こうが岐阜に行こうが鹿児島に行こうが、平塚の漢ですよやっぱり彼は。
讃岐在籍時に初めて対戦相手として平塚に帰ってきてくれた時、雨の中だいぶ待たされたけど、すごく感動的でしたよね。ビジョンまでちゃんと演出作って。
昨季限りで現役引退してからいろいろ見てはいたのですが、試合は見に行ってるみたいだけどどこも引退セレモニーとかやってる感じないんですよね。ないですよね?多分。
だったらやっぱり責任もって平塚のクラブが平塚の漢の新しい門出を祝福してあげたいじゃないですか。アパレルやるみたいだし。
と、長々と綴ってまいりましたがより共感を得たいというわけではありませんので、あくまで溢れる私の思いがこぼれてしまったくらいにお読みいただけたら嬉しいです。
次節以降ちゃんと試合のこと書きます。
※本文は筆者の記憶に基づくデータで記述したものであり、公式データは気にならない限り参照しておりません。
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